“ 夢 み る 世 界 へ ” |
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ものさしの歴史は長さを測る単位がどのようなものを基にはじまったのかを知る必要がある。メソポタミア文明を開いたシュメール人の長さの単位は、物では大麦葦、棒、網などに置き換え、人体では指、10本の指、前腕などを一つの単位としていた。また、驚くことに感覚も単位とみなしていた。視覚による単位では遠くの牛の角の間隔が見分けられるか否かで距離を測ったシベリアのブカーという視力による単位。(古代人は平均して視力が良かった事が解かる)また、聴覚による単位では平地にいる犬や馬などの鳴き声が聞こえるか否かで距離の単位を測っていたインドのクローシャという単位がある。 |
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このようにして人類は物の長さを測って進化していきましたが、西アジアより東アジアに伝わった単位は調査の結果、紀元前一万二千年前まで二つの長さの単位が中国大陸、朝鮮半島、日本列島(約150の遺跡)の古代の建物址の柱穴の間隔により検出され紀元前一万二千年前までは東アジアは共通の単位を使用していた事が解かっている。では、この二つの長さの単位は何を基準としていたか?一つの単位は17.3cmで女性の親指と中指を広げたときの長さまたは中指から手首までの長さと考えられている。もう一つの単位がその4倍の69.2cmで片足を踏み込んだ時の長さの単位と考えられています。この長さの単位17.3cmが一尺となりますが、この単位どんどん伸びていったんです。 |
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日本では紀元前1087以前では17.3cmだったものが、世の中の混乱により統制がみだれ、3世紀には23.1cmと一尺が伸びてこの時代に少し安定しましたが、再び五世紀から七世紀までに伸び続け一尺の長さは30cmに近づきました。この頃に安定しはじめた日本のものさしの単位は7世紀では29.7cmそれから18世紀では30.3cmなので1100年間でわずか6mmしか単位が伸びていません。ものさしにもこんな秘密があったのですね。ちなみに、日本で出土した最古のものさしは7世紀以後からです。 |
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定規の歴史は紙が一般に普及したところから近年始まったと考えるのが一般的である。「定規」を辞書で引くと、直線・曲線を引くためにあてがう用具とある事から定規はそれ以前は建築関係で使われていた鉄尺または曲尺などにより代用されていたと考えられる。特に曲尺は、まがりかね、さしがね、などと呼び金属性の意味を表しこれらは全て鉄尺であることから、昔は鉄尺が裁断用に使われた定規的なものだったと考えられている。 |
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ものさしは物の長さを測る道具であるため、単位は異なっても必ず端から目盛りが付いている。主に軽い材質で作られた竹尺などがある。他には、温度変化があっても伸縮が少なく正確に測れるステンレス製ものさし(直尺)がある。後者はどちらかと言うと固い金属で作られているため、カッティング用定規としての用途が多い。ものさしの形状は長さを測る事から、まっすぐな板状のものが主流である。 |
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定規は定規(定木とも書く)の外形に筆記具やカッターをあてがって、直線や曲線を引いたり、カットしたりする道具である。わかり易く言えば、定規の外形と同じ形状にコピーやカットする道具であり、目盛りが付いていなくても定規と呼べる。また、目盛り付きの定規は端より内側に間隔を設けた所から目盛りが始まるので数字のゼロがある。 |
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昨今、まっすぐな板状の定規やものさしは形状が似ているため両者は混同しがちであるが、その用途により呼び方が異なる事になる。また、地域によっても呼び方が異なります。例えば、関東では「定規」と主に呼ばれていますが、関西では「さし」と呼びます。また、静岡県では「線引き」と呼ばれています。 |
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